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 女性の地位向上に尽くしたKartini氏とインドネシアの教育

こんにちは。インドネシア特派員のロナルドです。

さて、既に過ぎてしまいましたが、4月21日はここインドネシアでは毎年Kartini Dayを祝います。この日は国中でKartiniさんが男女平等の権利を獲得するために女性の権利拡大に尽力されたことを祝します。

Kartiniさんについて学んだ私のバリに住む友人はこう教えてくれました。

KartiniことRaden Ajeng Kartiniさんはインドネシアにおける女性解放運動の先駆者であり、出生は1879年4月21日、Jepara(Javaの中心)です。ジャワ人の家系に生まれ、父・Raden Mas SosroningratはJeparaの市長でした。そして、母・M.A. Ngasirahは父の第一夫人でした。(この頃は一夫多妻制がインドネシアでは一般的でした。)

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当時のインドネシアでは女性は教育が受けられませんでした。女性は子供を産み、家庭で家事をこなすために存在している、そうみなされていました。Kartiniはこのような固定観念に疑問を持ち、次第にインドネシア人女性が秘めている力を開放させるべきだと考えるようになります。そして、独学で勉強し、女性でも男性と同様に知識と知恵を付け、情熱を持ち、目標や夢を描けることを体現していきます。更に、女性に向けた私設の塾や学校を運営し、女性の教育を進めていきました。しかし、不幸なことに彼女は1904年の9月17日に25歳の若さでこの世を去ります。彼女はBulu Village, Rembangで眠っています。

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彼女の死後、彼女の名前がついたKartini Foundation基金によって女性用の学校がSurabaya, Yogyakarta, Malang, Madiun, Cirebonと、次々と建設されました。

そして、1964年。元大統領・Soekarnoは4月21日をIndonesia National Day (Kartini’s Day)として定め、Kartiniを国のヒロインとして紹介しました。

 

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4月21日。インドネシアではKartiniが描いた理想を反芻し、社会をより豊かにさせていこうと改めて決心を固めるのです。

インドネシア特派員 / ロナルド